今朝いつものようにTwitterを開くと、このようなニュースがトレンドになっていました。
ある就活サイトが「底辺職」というカテゴリの元で12種類の職業を評価し、そのデメリットなどを紹介した上で、その「回避方」を紹介するというものでした。
就活をしている(セミリタイアですが)筆者はこのサイトを何度か利用したことがありましたが、このような露骨な記事を目にしたのは初めてした。
問題の記事で紹介されていた職種は以下の通りです。
底辺職①:土木・建設作業員(平均年収369万円)
底辺職②:警備スタッフ(平均年収313万円)
底辺職③:工場作業員(平均年収350万円)
底辺職④:倉庫作業員(平均年収341万円)
底辺職⑤:コンビニ店員(平均年収374万円)
底辺職⑥:清掃スタッフ(平均年収328万円)
底辺職⑦:トラック運転手(平均年収419万円)
底辺職⑧:ゴミ収集スタッフ(平均年収329万円)
底辺職⑨:飲食店スタッフ(平均年収300万円)
底辺職⑩:介護士(平均年収340万円)
底辺職⑪:保育士(平均年収363万円)
底辺職⑫:コールセンタースタッフ(平均年収320万円)
(ページの魚拓より引用)
そして、これらの職種に共通する特徴についてもページ内で纏めていました。
また前提として具体例のところに平均給与が掲載されているところから、給与の低さも特徴の一つとして紹介されていたように解釈しました。
これに対する反応は大きくわけて3通りありました。1つ目はこれらの特徴に対して反駁するもの。2つ目は必要な仕事を侮辱していると批難するもの。3つ目は給与などを問題とした上で解決を訴えるものでした。
では、逆に「頂点の職」について、我々はどう評価しているのでしょうか?
特徴として出てきた対義語を挙げるとすれば、デスクワークで、専門性や創造性といった稀少な能力を発揮し、多様な経験を積むことができ、かつ給与の高い仕事です。正直これらが全て同時に成り立つという事は有り得ない(デスクワークとされる仕事も体力勝負で、泥臭い作業を繰り返している場合が多い)ように思えます。また業界で区切る方が適切かもしれません。が、強いて職種で幾つか当てはまるものを挙げるなら、
①企画職
②調査職(マーケなど)
③会計・法関係の専門職
④医師(⑤起業家)
などがイメージとして思い浮かぶのではないでしょうか。ただここで問題にしたいのは、このような特徴を持つものとして、今の誘導が無くても頂点なる職業とその特徴が想像出来てしまう人は少なくないのではないかという事なのです。
この頂点である条件として、先述した特徴よりも、以下のように説明する事が適切なのかもしれません。(なぜなら「底辺職」と言われた職業のほとんどが専門的な知識を持ち、その場に応じてそれを使いこなす能力を求められているからです。)例えば「エリート街道」や「華のある」という言葉の方がしっくりくるのではないでしょうか。
エリート街道だったり、華のある仕事が頂点の仕事だと認めるなら、「底辺職」は一体どんなものだというのでしょう。筆者はこれが問題の記事において顕在化したものだと思っています。またこの記事に対して怒る人のうち、どれだけこの考えを全く持っていないと言い切る事が出来るのか疑問に思っています。
つまり、職業について貴賤は無いといいながら、貴なるものを定め事で、無意識ながら職業のヒエラルキーを作っているのではないかという事なのです。今回のニュースを受けて、中傷を受けた人たちは受けていない人達が怒る事を嬉しかったり、頼もしいと思ったのでしょうか?(私は学生なのでわかりませんが…。)
さて私がなぜこんな事を考えていたのかというと、ある本に感化されたためです。(もしかしたら洗脳レベルかもしれません)
それは「白熱教室」などをやっているマイケル・サンデルさんの著書『能力主義は正義か? 実力も運のうち』(鬼澤忍訳 早川書房 2021年)という本です。
この本はもっぱらアメリカで、学歴を元にした経済的・文化的ヒエラルキーの固定化が起こったことと、それが社会の分断を招き、そしてポピュリズムを招いてしまったというものです。
文化的ヒエラルキーというのが今回の「頂点と底辺」といったものだと、筆者は(勝手に)思っています。さらに勝手なことに、今回のニュースとそれに対する反応は文化的ヒエラルキーを反省する機会にならず、分断の溝は深まっていくのではないかと危機感を持っているのです。頂点意識が残り続ける限り、口先でこの問題を片付けてしまう事になるのです。
ここまで言いたい放題だったわけですが、筆者はこれに対する向き合い方を知っている(その責任を果たす事が出来る)のでしょうか?正直自信のある答えを全く持っていません。(バイトも時給の高い学習指導のものばかりやってきた人間です。)
そんな酷い筆者のない頭を絞って出てきたアイディアを最後に紹介していきたいと思います。
1.(その職に就いて居ない人は)今回中傷された理由を各職業毎に深掘りしてみる。
その職業をイメージしてみて下さい。誰のために、何に対してどんな事をする仕事でしょうか?それを自分がするとしてどこに忌避感などがあったのでしょうか?そして中傷されていない仕事(あるいは頂点の仕事)と比べる事が道徳的に許されるのでしょうか?エリート的でない・華がない事で職業を相対化してもいいのかを考える方法です。
場合によってはアルバイトなどの形で体験してみてもいいかもしれません。
2.その職に就いていた人(アルバイトでも)といない人で話を聞き合ってみる。
お互いなんのために働いているのでしょうか。その理由に(もし理由がなかったとしても)貴賤があるように感じましたか?そもそも個々の事情を汲み取った上で人の貴賤があるのか、独断的に裁く事の良し悪しを考えてみてもいいかもしれません。
3.さっき紹介した本を読んでみる
サンデルさんの本は筆者よりもいろんな話題に触れながら説得力を持って今回のニュースを教えてくれると思います。本で紹介されるアメリカでの出来事は、日本よりも表現が露骨で、深刻です。向こうで職業の文化的ヒエラルキーがもたらした新しい問題は、恐らく日本にとっても他人事ではないのだと思います。ブックオフで見てみるのもいいですし、あるいは時々テレビ(確かNHKだったと思います)でサンデルさんの白熱教室が放送されます。それを視聴してみるだけでも理解を深める事ができると思います。
(4.チップを払ってみる)
正直筆者はこの方法を頂点と底辺の意識の問題を解決する方法だと思っていません。まず払える仕事とそうでない仕事が分かれてきます。また解決するどころか払う人と払われる人の間でヒエラルキーが出来る可能性もあると思っています。が、給与面での問題を重要視する人にとっては有効な解決策になり得るのかもしれません。筆者はチップを払う人が相手に対してどのようなリスペクトを持って行っているのかが鍵になってくると思います。
…如何でしょうか。もしいいなと思う方がいらっしゃればそれをして頂ければと思いますし、他に良い方法があるのならそれを実践してみるのがいいと思います。
この大事な機会に、一緒に考え直してみませんか。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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コメント
スマホ総合ブログの管理人つらつらです!!難しい問題ですね、、まぁワタクシとしては無闇に人を小馬鹿にするあほうなどほっとくのが1番だとおもうのですがね、、(*^^*)
つらつら様、コメントありがとうございます!
おっしゃる通り、人を小馬鹿にする事が深刻な問題を招くと私も思います。