夕張本町2016年夏

こんにちは。銀ふくろうです。
今回は予告通り、最終日の続きについてお話していこうかと思います。
それでは早速、本編に入りたいと思います。
(この日の全体スケジュールは、ここをクリックして前回の記事を御覧ください。)

探索情報
行程:マウントレースイ→桑島整形外科→市役所→ファミリースクールふれあい→石炭博物館
時間:1時間半



夕張国道を下りていくと、途中で道東自動車道から札幌へ向かう道と合流し、
しばらく自動車の通りが多かったのですが、夕張駅3キロ手前のところで分岐し、
また寂しく走っていきました。
夕張駅の隣にマウントレースイという巨大なリゾート施設があり、そこの駐車場に停車しました。

このマウントレースイも今や営業を停止してしまいましたね。
今後どうなるのでしょうか。

そういえば夕張駅と言いますと、筆者が向かう前日に夕張市長がJR北海道の社長からの石勝線の
新夕張~夕張駅間、通称夕張支線の廃止の申し入れを受諾しました。
これを富良野の宿で私は知り、夕張支線にも乗ってみたかったのですが、時間の都合上、
叶いませんでした。
駐車場に車を停め、筆者はまっすぐ本町に来た目的を果たすため、市役所の方角へ
歩いていきました。


夕張本町の中心部です。駅より一度坂を下り、また登ったところに市役所を中心とした、
町が広がっています。南大夕張などと比べると、人気がありましたが、やはり廃墟を
見ることが出来ました。

この建物は市役所の目の前の通りを100メートル行かない位の場所に位置していますが、
明らかに廃墟であることが分かるかと思います。建物の脇に看板があり、ここが昔
病院であったことが分かりました。

ちなみにこの写真に書いてある院長だった方の論文がネットにありました。
学位授与が昭和40年の6月となっていましたが、建物の状況から見て、
学位取得後すぐに病院を開いたのではと思われます。

そしてすぐ隣には市役所がありました。電気が丸々点いてない階があったり、曇りなのに
カーテンが閉まっていたりしました。
人員が足りないのか、それともかなりの部署(炭鉱を取り扱っていた部署など)が解散となったのかだとは思いますが…。

これは少し後ろから撮ったものです。
同じような建物が並んでいますね。先の支庁舎は右側です。では左側は?なんでしょうか。
正解は夕張の市民会館跡です。映画館などもあったのですが2015年の3月末に閉館しました。

途中、何故か明らかに採算に見合わない巨大な団地とか、中学校を半診療所にしたもの
などが通りすぎ、市役所から15分ほど歩いたところに、目的施設がありました。

この病院のような建物は昭和50年に小学校として建てられ、58年に廃校になると
宿泊施設として使われましたが、10年前に閉鎖となった、悲しい建物です。
探索当時は予約フォームがネットに残っていましたが、最近なくなってしまったようです。
宿情報のみが残っています。


裏には体育館がありました。開校時は800人以上もの生徒を収容していたそうです。
元は2800人もの生徒が在籍していたマンモス学校を統廃合した小学校ということで
大人数の生徒が入れるようにしたそうですが、閉校時は在籍数40名と
夕張市が急速に衰退していったことが分かるかと思います。
私は10分ほどアプローチしようとし続け施設のあちこちを回りましたが、長草が
茂っていて、そこらにハチがたむろしていたので諦めました。
冬にもしかしたら、また北海道に行くかもしれないので、その時にリベンジしたいと思います。

現役時に使われていた道具や、石炭の採掘の仕方の進歩の展示と共に、
往時の機械が動いているところを見ることが出来ました。機器がとても大きく、それでいて
メカニックな動作にロマンを感じました。

本来であれば、実際に使われていた炭鉱跡を歩くことが出来たのですが、
当時は補修工事中だったため、入ることが出来ませんでした。
ちなみにその分、拝観料は値下げされていました。

それでも、当時の機械が運転しているのを見ることが出来、筆者は大満足でした。
拝観後は、道東自動車道より新千歳に向かい、19:00の便で羽田に向かいました。

中心地はかなりキツい状況でしたが、石炭博物館はなかなか
よい観光資源だったと思います。新千歳からおよそ50キロと、第2話での足尾と比べると、
かなりアクセスのいい方であるかと思います。北海道である以上、
国内からの旅行客の獲得は難しいかもしれませんが、海外からの旅行客には
開発のしようによっては便利な場所となるのではないでしょうか。


では今回はこの辺で。
最後までご覧いただき、有難うございました。

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