伊納隧道探訪記 考察編

北海道旅行記

⚠️この記事の更新版を執筆しました。本記事の要約もしておりますので、そちらをご覧ください。
伊納隧道とかの函館本線旧線の総考察
こんにちは。銀ふくろうです。
先ほど紹介しました伊納隧道のことなのですが、
建設された時代の古さで有名なこのトンネル、1体いつまで使われていたのでしょうか。
書いてある記事が見当たらなかったので、いくつかの情報を元に推測してみることにしました。

~0.付近路線図 ~
まず伊納隧道のある、旭川~深川間の駅の位置関係を載せてみました。
深川駅
↓7.4㎞
納内駅
↓5.8㎞
神居古潭駅 (1969年に廃止)
↓6.9㎞
伊納駅
↓5.9㎞
近文駅
↓4.9㎞
旭川駅
~1.沿線の歴史 ~
次に、深川駅~旭川駅間の歴史を見てみましょう。
1898年 北海道庁鉄道部が空知太~旭川を結ぶ上川線を開業。
→隧道はこの鉄道の開業に合わせて、作られたということですね。
1907年 前年に成立した鉄道国有法により、上川線国有化。
1909年 函館本線に改称。
1932年 神居古潭駅付近で岩盤崩落にSLが巻き込まれ、川に転落。乗員は死亡。
→車両はそのまま川底に沈んだままだそうです。
1961年 神居古潭~伊納駅の間に春志内信号場完成。
1964年 砂川~旭川間で複線化工事が着工。
1969年 複線化工事竣工。新線切り替わりにより、旧線及び神居古潭駅を廃止。
参考になりそうなのはこんな感じです。
~2.考察タイム ~
ズバリ言いますと、1932年に起きた
落盤事故がキーなのではと思います。
まず、2代目トンネルとの併用の可能性は複線化工事と同時に旧線が廃止された、
ということから有り得ません。
それまで単線であることから、同時に使われる事はなかったはずです。
次に2代目のトンネルがコンクリート製である事についてなのですが、
日本国内で初めてコンクリートで作られたトンネルは、1921年竣工の松坂トンネルというトンネルです。
このことから、初代から2代目のトンネルに移ったのは21年以降ということも、わかります。

横からみた2代目のトンネル。12話で記載した写真からだと、
廃線後にサイクリングロードにするときに補強した部分しか
見ることができませんでしたので、確認用にうpさせて頂きました。
そして、これは年表からわかることではないのですが、

この地域一帯が元々落盤が多いという事実があります。
上の写真のトンネルのバリケードですが、あのバリケードには落石の危険性につき、通行止めと書かれた看板があります。
そして、私のトンネルの中から外を撮影した写真では下にバリケードのような
ものが倒されているのを確認できると思うのですが、
これと同じ型のバリケードが、サイクリングロードの斜面側に設置されており、
ところどころに落石注意のステッカーが貼られていました。
ここで1932年に起きた事故を見返すと、「落石事故で神居古潭駅付近にて
列車が川に落ちる」ということが書いてあり、旧線または旧旧線のいずれかの線路が危険な場所を通っていた事が分かります。
事故発生後、安全性の問題が発覚したものの、当時山をぶち抜く巨大なトンネルは技術上できなかったため、出来る限り崖崩れに合わないよう、崖にトンネルを埋込んだ、という風な感じなのではないかと考えています。
恐らく1932年に事故が起きてしばらくしないうちに、
2代目トンネルが作られ、その際に初代トンネルは役目を終えたのではないでしょうか。
最後に、この画像を見ていただきたいと思います。国土地理院の地形図図歴から
もってきた、1931年に測量し、1932年の7月30日に発行されたものです。

鉄補というものは、鉄道を補足するというそのままの意味ですが、
旭川より深川方面の部分が抹消されていました。ヤバそう(小並感)。
因みに北海道タイムスという往時のメディアによると事故は11月4日に起きたそうなので、
つまり事故が起きた後「鉄補」をされてその後何らかの理由で「抹消」されたのではと思われます。
以上が隧道関連の考察です。
素人の考えですので、判断材料が乏しかったりして重要な情報を見落としているかも
しれません。もし、これらの他に重要な情報や、そもそもいつまでだか
ご存じの方は、よければコメントにお願いします。
では今日はこの辺で。
最後までご覧いただき、有難うございました。

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