わたらせ渓谷鐵道と休線区間と足尾本山駅 2016

足尾本山駅(クリックでフルサイズ表示) 旅行

このあと足尾本山駅に入る前にある橋梁の手前のところで道路に出ることが出来ましたので、
道路のほうから足尾本山駅付近を探索していきました。

本山駅前の橋梁を下から撮影したものです。「事故連絡か所 足尾駅」と書いてありますが、足尾駅では1年を通じて駅員が配置される日の方が少なくなっています。

肝心の橋本体はだいぶ傷んできていることがよく分かります。
また橋からは見えづらかった本山駅ですが、道路のほうから近づくことができました。


ここから先はわたらせ渓谷鉄道と古河機械金属の所有地で、
入り口にはバリケードがあって、厳重に立入を禁止しています。
この写真はそのバリケードの網目から撮った写真です。
目の前は駅のようですが、これも30年は使われていないものと考えられます。
元々貨物用の駅であったためホームはないそうです。


駅のほうから離れ、国道側から駅のほうを撮影することにしました。
その前にもう一度、鉄橋を撮影してみました。

この写真だけだと、今でも列車が通ってそうな、そんな感じもします。
国道に向かう途中で、面白い構造物がありました。

これは、旧古河橋といいます。この橋は1893年に建てられ、
今は国の重要文化財に指定されています。老朽化が進んでおり
とても渡ることはできませんが、隣にかけられた新古河橋よりじっくり観察できます。
この後、国道122号線(間藤駅の駅前にある道です)から、足尾本山駅に併設されている、
精錬工場、硫酸工場を撮影し、間藤駅の方に引き返していきました。

上部の3つのタンクはかつて精錬の時に出来る硫酸を貯蔵していたようです。
この後列車の時間がくるまで時間が空きましたので、
間藤駅から足尾駅、その隣の通洞駅まで歩いていきました。
足尾の商店街の中を通る形になっていて、
営業していない店と、営業している店が半々くらいになっていまして、
営業しているお店の人もお爺さんお婆さんがほとんどでした。


この間藤から通洞までの間で昼食を取ろうと考えていたのですが、食事処は通洞駅周辺を除いて営業中のものはありませんでした。またコンビニもヤマザキショップが通洞駅にあるのみで、訪問時は棚に商品がほとんど入っていない状態でした。
2021年現在でグーグルで調べた所、足尾駅前にある民家然とした「北村商店」さんがスーパーマーケットの役割を果たしており、どうやらヤマザキショップよりも品揃えがよさそうなことが分かりました。なんにせよ、
足尾に行く際は食事の確保について事前にしっかり検討しておくことをオススメします。


また、通洞駅に向かう途中で、足尾駅に立ち寄りました。
丸型ポストまで設置されており、ここだけ昭和のままです。

駅の隣には、国鉄足尾線時代に走っていたと思われるキハ20が保存されています。

足尾線は1914年より桐生から足尾本山を結び、精錬された銅を輸送する貨物輸送と、
人を運ぶ旅客輸送で栄えました。しかし銅山閉山後、足尾と共に足尾線は衰退し、
1987年に国鉄の民営化と共に、貨物の取り扱いを廃止し、89年にJRから私鉄になりました。
この車両は国鉄足尾線時代のものですが、見た限りだとペンキの塗り替えや車両の洗浄は
しているようですが、車体の修復はされていないのでしょうか。
窓の下の傷が大きく目立っています。
この他燃料やランプなどを保管していた煉瓦ランプ小屋もありました。

画像を拡大してみると、扉の上の赤いステッカーに「財産票 大正3年」と書いてあります。
足尾線開業時に建てられたものであることがわかります。

この後、通洞駅まで向かい、帰路につきました。

通洞駅舎
ちなみに通洞駅の近くには足尾銅山を観光できる場所があるのですが、
時間の都合上、見ることが出来ませんでした。
今度来たときは、ぜひ見に行ってみたいものです。
さて、今回参りました足尾ですが、住んでいる人は皆、年老いた方ばかりでした。
さらにわたらせ渓谷鉄道も赤字が続いておりまして、廃止の声も出ています。


前回述べたとおり、乗車中も他に乗客を見ることはありませんでした。
また、足尾というのはかつて、足尾町という一つの自治体でありましたが、
10年前に日光市に編入され、日光市内の町のひとつとなりました。
私たちに出来ることというのは余りないかもしれませんが、もし、
このレポートで、少しでも足尾に運んでくれる方がいれば、幸いです。
最後までご覧いただきありがとうございました。

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