北海道3廃線の旅【夕張・札沼・留萌線+急行はまなす】

北海道旅行記

3.札幌→追分→夕張→南千歳→苫小牧

この日の行程は夕張支線で夕張駅周辺へ向かい、簡単に観光して苫小牧まで引き返し、フェリーで北海道を離れるというものでした。

当時まだ夕張が財政破綻した場所で、廃墟とかも結構あるらしいというレベルで筆者は目的地に設定したのですが、この訪問は大学で都市・地域論の副専攻をとる大きなきっかけにもなりました。

追分駅。晴れている。多分無風?
追分駅で夕張行に乗り換える。

夕張観光の主眼は石炭の歴史村にある遊園地跡のウォータースライダでした。
そのため、夕張支線の乗車記録が殆ど残っていませんでした。(申し訳ありません…)

夕張支線の簡単な乗車記録は翌年の旅行記に残っているので、宜しければ是非御覧ください。

ただし、この時においても葬式ムードなど欠片もなく、殆ど誰も乗っていない状態出会ったことは覚えています。

夕張駅。撮影したのはこの旅行の翌年。
写真は2016年に撮影したもの。

駅前のセイコーマートで飲食物を調達し、市街地を縦貫する道で北上します。
トタンの建物や塗装が剥がれた剥き出しコンクリートの建物が連なっている様子は、不適切な表現かもしれませんが、圧巻でした。

同じ場所を翌年8月に訪れた時の写真

市役所を過ぎ、ホテルシューパロを過ぎてからは国道38号線で石炭博物館の近くまで移動します。博物館に着いてからは館内の通路を更に北上します。
団地やファミリースクールふれあいといった地域特有の施設が過ぎていきますが、事前知識が無かった筆者はただただ圧倒されるだけでした。

廃校を使用した宿泊施設跡。
車の通りも殆どなく、同行者の話す声だけが聞こえる。
ファミリースクールふれあい
翌年12月の再訪時に撮影
遠くに冬季休業中の石炭博物館
国道38号線より石炭博物館
石炭の歴史村竪坑櫓跡

石炭の歴史村館内の通路は、冬季休業・閉業のために全く除雪されておらず、雪中行軍の様相を呈していました。

結果的に手前のSL館(SLが展示されている)の入り口で引き返しました。

ポツンとトイレ。同行者の新雪をかき分けて進む音だけが聞こえる。
SL館手前にあったトイレ。ここら辺で時間的にも体力的にも一杯となり、近くにあった遊園地にありそうな遊具で遊んで戻ることとなった。

診療所からマウントレースイまで戻り、ホテル内のパン屋「カフェテラス・リラ」で軽食を取りました。名物の夕張メロンパンを頂き、一息つけてから苫小牧港のフェリー乗船に向けて、夕張を起ちました。これで3廃線を使用した旅行もお終いです。

(恐らくは停止されるべきだったはずなのですが、休業中のリラのページが記事作成時は生きていたので、貼り付けておこうと思います。→http://racey.yubari-resort.com/contents/lila

南千歳駅のホームにて通過中の電車を撮影
南千歳駅?にて 必要ないところで列車撮影を行っている

これはこの10年弱で出来なくなってしまった旅行です。
振り返れば葬式需要が殆どで、本来求められるはずの日常使いのお客さんがいなかったために、廃線・廃止もやむ無しだったようにも思えます。

その上で当時も今も、「やはり乗っておいて良かった」という気持ちが強くあり、その裏返しとして近年その思い出が薄れつつある事への焦りもあって、今回の執筆に至りました。

この記事を通して、皆さんが郷愁や懐古を引き起こし、それを愛して頂けたなら幸いです。
また、今のうちに見に行けるさまざまな場所を、身近な場所からでも訪れ、感じて記録して頂ければと思います。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。


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