レッド・アトラスと熱海線 調査編

ソ連製地図

⚠かならず考察編〔次回の記事〕も合わせてご覧ください。
(考察編のみご覧になる方はこちらのリンクより移動できます。)

こんにちは、銀ふくろうです。
つい先日ブログでソ連製の地図で旧線について、色々調べることが出来そうだという話をしました。
せっかくですしこれを使って色々調べてみたかったので2019年に訪れた、ある東海道線旧線区間について、地図も併せてみながら、その様子をお伝えしていきたいと思います。

調査概要
内容:ソビエト連邦軍用地図と実地の比較
行程:真鶴駅→長坂山隧道→八本松隧道→赤沢隧道
時間:1時間

前置き:熱海線とは?

現在東海道線は東京を出発したあと、横浜、小田原、熱海と関東を抜け、静岡県に入っていきます。ですが、新橋~神戸の全区間が完成した1889年当時は山をくり抜いて長大なトンネルを掘る技術が無く、熱海から先に進むことが出来なかった為に、小田原の手前の国府津駅から御殿場を通り沼津に差し掛かるという形で大きく迂回をしていました。
ですが時は流れ長大なトンネルの掘削が技術的に可能となると、よりルートが短くするべく、小田原、熱海経由で新東海道線を通すこととなりました。トンネル掘削は時間がかかるため、一気に全通ということはなく、漸次的に開通していくことになります。また、当時は熱海線(新東海道線)と呼ばれ、東海道本線には含まれていませんでした。
第1段が国府津~小田原(1920年)
第2段が小田原~真鶴(1922年)
第3段が真鶴~湯河原(1924年)
第4段が湯河原~熱海(1925年)
そして最後にトンネル(丹那トンネル)が1934年に完成されたことで熱海から沼津までが結ばれると、熱海線は東海道本線に名を変えました。
さてその旧熱海線ですが、今と開通当時では少し異なる部分を通っています。第二段で開通したの一途、区間根府川~真鶴です。地図で確認していきましょう。


オレンジの線が現在の東海道線です。
ここでソ連製の地図の方を見てみましょう。(作成は1960年代後半と見られる)


さっきよりも東海道線が海側を走っているのがお分かりいただけますでしょうか。
画像を二枚重ねでみますと、違いは明らかになります。


赤が新線で青紫が旧線です。点線はトンネルです。
一方の黄色の点で分岐した旧線は、海側をふたつの車道に挟まれる形で通り、またもう一方の点で新線と合流しています。また、旧線には3つのトンネルが存在するのに対して、新線は長いトンネルが1つ、区間の半分以上に渡って設けられています。
これら旧線の3つのトンネルは、それぞれ北から赤沢、八本松、そして長坂山隧道と呼ばれ、なんでも赤沢隧道の景色はなかなか見ることの出来ないということでしたので伺ってみることにしました。
クライマックスは終盤に置くために、南側から向かうことにします。


実地調査


朝だか昼だか微妙な真鶴駅です。
駅舎はあまり知られていませんがなんと大正13年に建てられたものです。
取り敢えず根府川方面へ。新旧線の分岐地点まで歩いていきます。
分岐していきなり両線異なるトンネルに入るのですが、フェンスで入ることができません。
旧線への反対側からのアプローチがあります。これは「岩」という、なんとも珍しいバス停です。ここから分岐点の手前側の立体ガード下を通り抜け、県道740号線(旧国道135号線)に合流する形で15分ほど歩いたあと、西湘梱包前の道を右へ逸れます。
西湘梱包にあるみかんbot。小田原のみかんは凍っているものではない…?
取り敢えず転がり落ちない範囲で降り続けます。すると大股で越えられる程度の沢に当たるのでこれを越えると、視界の右にトンネルが入ってきました。
草の無い地面の部分はレールと言うより轍の跡です。
まだ良く様子が見えません。近づいてみます。
1つ目のトンネル、長坂山隧道です。
依然しっかりと安定しており、崩れる気配はありません。トンネルはかなり大きく、全部を写すには竹が邪魔になる程です。
内側から撮影した方が全体がよく分かります。トンネルは数百メートルにわたりますが、半分以上の海側半分は、鉄道関連の備品の物置になっていました。
ここから八本松隧道に向かいます。


さて八本松隧道に向かう場面な訳ですが、ここで地図を見直してみると確かに隧道は3つあるのですが、1番北の赤沢隧道は根府川駅を呑み込んでしまっています。どういうことなのでしょうか。少し頭の中に疑問が残ったまま、歩みを進めました。

長坂山隧道を出て程なくして八本松隧道に着きました。
ちょうど撮影時に立っていた場所の真上には架線柱が残っています。北に向かって左へカーブしていますね。
全長は今も竣工時も約80mとのことですが、造られた翌年に起きた関東大震災での被害で、20m分切り取りをしたらしいです。いつの間に増えたのでしょう…?

反対側から撮影したものです。レールが敷かれていた場所がくっきりとわかります。確かに真鶴方面の坑口は石造りになっているのに対して、こちらはコンクリートで作られています。他サイト様のおっしゃる通り、根府川側(小田原方面)の部分をカットし、またその後つけたしたのでしょう。
この先赤沢隧道までは、真っ直ぐ道が伸びています。一部は橋梁のようです。

海沿いを走る現国道135号線の真上に旧線は続いているので、大海原を収めることができました。天気もいつの間にか良くなっています。
ちょうど写真奥の暗くなっている部分が赤沢隧道の坑口になります。
歩みを進めると、ギョッとするものが目に入りました。

坑口の上からいかにも吊って下さいとばかりにロープが垂れ下がっています。無法地帯を舞台にしたあの漫画で見たような光景です。

ところでこのトンネル、他にも変わっているところがあることにお気づきでしょうか。このトンネルの名物でもあるのですが、それは海側に付いている窓です。

普通の長いトンネルにあるような横坑とは異なり、短い間隔で窓が設けられています。
やはり観光目的なのでしょうか。

残念がながら多くの窓からの眺めは、草木に阻まれて往時の様子を窺うことが出来ませんが、いくつかは、海を望むことが出来ました。恐らく列車からはコマ送りのような感じで大海原が眺められたのでしょうが、今では恐らくそのような事は叶わないでしょう。

トンネルは途中で洞門のようになっていました。確かに景観ができる限り保証されるようになっていて、勝手にサービス精神を感じています。
トンネルは根府川方面へ右にカーブしているのに対して、洞門は真っ直ぐ伸びています。

洞門を出たところです。すぐ隣に新線のトンネルがあり、時たま列車の通過を伝える音が響き渡ります。目を閉じると昔っぽい少しぼやけたイメージが広がりました。
ここを出るともう目の前で新線と合流します。
旧線区間踏破ということで、音も含めて楽しむことが出来ましたし、満足して引き返すことにしました。

調査編はここまでです。
次回は最初に言及した根府川駅に赤沢隧道が突っ込んでいる例の地図の謎を解いていきます。

それではこのまま考察編へお進みください。

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