こんにちは。銀ふくろうです。
今回は佐賀県にある、こじんまりとしたインフラ廃墟の話をしたいと思います。
概要 名称:浦ノ崎変電所跡 建設時期:1950年代頃?(廃墟探索地図より) 訪問時期:2019年3月頃
向山炭鉱と呼ばれた炭鉱付近に存在し、1936年より1974年?頃まで線路と道路を挟み反対側にあった造船所(川南工業浦ノ崎造船所・戦前は板ガラスと曹達を生産していました)に電力を提供していました。1974に?がついているのは造船所自体が1955年に閉鎖されていることや更にその前の1948年に川南工業が破産手続きを開始し始めていたということから、「停止」の1974年に至るまで20余年の間何をしてたのか?ということです。
これは1946年に米軍によって撮影された空中写真をカラー化処理したものです。元々は変電所や社宅などを含め4つの建物が存在していたらしいのですが、確認できる建物は2棟。しかし赤丸の中には2棟のほかに別の土地利用を伺わせるマークがあるようにも思えます。
ちなみに1977年には既に二棟となっているほか、訪問時には1棟のみしか確認ができませんでした。1978年に発行された国土基本図や現在の地理院地図にも2棟のみが書かれています。
中はやや雑然としていますが、伽藍堂という印象のほうが強いですね。また当時この施設で使われているものとハッキリ分かるものは多くありません。
そのうちの一つが送電用のがいしです。
電車の送電線に変な陶器があるのを見たことがありますでしょうか。それです。絶縁体です。
あとは構造物そのものです。奥に和式便座が据え置かれてました。
地面が土でこんもりしていますが、どういうことなのでしょうか。まるでトイレからドバ…
これ以外は稼働中からあったものと言いきれないものばかりでした。
捨てられたもの自体は変電所が畳まれたとされる1970年代に生産されていたものと見受けられますが、個人が投棄したかもしれません。
とはいっても大した投棄量でもなくむしろ生活感を与える感じがしてよかったです。
いい雰囲気でした。
ちなみにですがこの川南工業は昭和22年に経営者が公職追放を受けているほか、労働争議が勃発しており、これを理由に経営者追放後に各支部にて労働組合員に自主退職を強要させた事件がありました。浦ノ崎造船所においてもこの際に19名が退職しています。その後の破産手続きや工場閉鎖に至るまでのことを考えると、特需景気に間に合わなかった軍需企業の物悲しさも感じられるような気がします。
なおこの廃墟ですが、入口は獣道になっています。比較的訪れやすい廃墟ですが、私の時はトゲのある植物が行く手を阻みましたので、無理な突破に伴う怪我にはお気をつけください。
それではこの辺で。最後までご覧頂き、ありがとうございました。
参考サイト
国土地理院 地図空中写真閲覧サービス:https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do#1
『労働関係事件判例集』329-330頁 1948年 最高裁判所事務局刑事部第一課
(国会図書館デジタルより):https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1444523/175
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