昭和ノスタルジーと「南箱根」@富士箱根ランド2

今見に行くべきもの

※この記事は前編(『昭和ノスタルジーと「南箱根」@富士箱根ランド1』)の続きです。 

1階に降りるとこじんまりとしたボウリング場がありました。
値段も貼られていますね。消費税は8%表示のままです。
税抜で1ゲーム400円のようですがこれはやや安め、といったところでしょうか。

スタッフは常駐しておらず必要な際はカウンターに設置されているダイヤル式の電話で呼び出すようです。

全部で6レーンのこじんまりとしたボウリング場です。曲線を描いた椅子がかなり薄いような気がしますが大丈夫なのでしょうか。得点は手書きのようです。天井から吊られている照明が昭和って感じです。

ボウリング場の隣にはゲームコーナーがありました。

8月と9月で少し置かれているものが変わっていた。

このゲームコーナーには10年前の時にも寄ったことがありました。当時は電車でGO(古いものです。確か「3000番台」でした。)や巨大なピンボールゲームなど大きなものも多くありましたが、より簡素なものに置き換えられた印象があります。何れにしてもレトロゲームが多いことには変わりありませんでしたが。

おちゃらかホイ。

しかしこの手の単純なゲームはレトロゲームで遊んだことがあったり、レトロゲームが好きだったりしなければ余り遊ばれないような気もします。

初代「対戦ホットギミック」(1997)
日本アミューズメントマシン協会加盟メーカーからリリースされた中では最後の脱衣麻雀ゲーム、らしい。

この麻雀筐体8月時にはありましたが9月では見かけませんでした。今となってはプレイしておけばよかったと思います。

90年代ゲーム特有のドット絵とは思えないほど綺麗なグラフィック。キャラクターデザインは司淳さん。

このあと一旦外に出た私は別荘群があると思われる場所を目指しました。

アスファルトがえぐれている。左下はカフェ・レストラン。

外から入ってきた時に右側にある宿泊棟の脇の道を歩いていきます。
直に通ることは少ないことが予想されますが、宿泊棟の塗装が少し痛々しく見えるような気もします。そんな感じでまっすぐ歩いていたのですが、まもなくして建物の様子が激変しました。

おそらくほぼ同時期に建てられたものだろうが、雰囲気は全然違う。
手前の建物と比べてあまりにも無骨な建物だ。

もはや宿泊施設というにはおどろおどろしい有様です。この建物は本館の宿泊棟と屋外通路でつながっているようです。ちなみに館内平面図(リンクはこちら)には直接書かれているわけではありませんが、各階の屋外非常階段がそれにあたるものと思われます。

「山荘 山の家管理事務所」 窓から室内が雑然としているのがわかる。 

もう既に使われなくなった建物なのは明らかですが、どのような用途で使用されていたのでしょうか。このリゾートを管理しているレクリエーションセンターに問い合わせてみるとかつての社員寮だということがわかりました。しかし社員寮の名前として「山の家管理事務所」の名前は洒落ていますね。個人的には「山荘=別荘群」だと思っていたのですがそういうわけではないようです。

脇を走り別荘群へ続く車道より8月撮影

こうして全体を見てみるとまるで団地のような雰囲気です。
本館だけでも169室・586名が宿泊可能ということもあり、確かにピーク時には大量の職員が必要なことを考えるとこれくらい大規模な社員寮が建てられたことも頷けます。なお右側のものは現役のようです。

このまま別荘群を目指して進んでいきます。グーグルマップで見た時には気づきませんでしたがかなりの下り道です。

実はこの道は函南原生林と呼ばれる自然林のトレッキングコースへ続く道である。

別荘群・函南原生林に続く道は車1台分通れる幅が確保されていましたが路盤が50m近くに渡って抉れているのでジムニーとかパジェロミニとかでないと通行出来ないでしょう。

9月の時のみ別荘群へ向かった。

そういえば道の脇にある電柱は全て木製電柱でした。コンクリートより随分と細いです。半分くらいのサイズでしょうか。
管理事務所跡から歩いて7,8分程で”突き当り”に出ました。

筆者はチキっていたが同行者は突っ込んでいった。

どうやら奥の方までアスファルトが続いているようです。確かにマップを見る限りここからが格子状の区画になっているはずです。
また函南原生林のブックによるとこの奥の左手に駐車場があったということだったのですが、この写真の上(奥?)に見えている鬱蒼とした木々に埋もれてしまっていました。

1988-90年撮影の空中写真 国土地理院タイル(URL:https://cyberjapandata.gsi.go.jp/xyz/gazo4/{z}/{x}/{y}.jpg

十字カーソルの右、茶色になっている部分が駐車場だったと想定されます。ちなみに先の写真は十字カーソルのすぐ右にある急カーブの真ん中らへんから撮ったものです。30年前までは富士箱根ランドから左下の函南原生林入り口に至るまで一切の植物が伐採されていたようですが、今までの写真の通り緑に覆われつつあるようです。

いよいよ叢の中を進んでいきます。

お目当てのものが見えてきた。が遠い。

あとから思い返して見ればここは小学校の課外授業で函南原生林のトレッキングを行うために着たことのある場所でした。にも関わらず訪問時に思い出せなかったのはやはり10年で景色が変わり果ててしまったことが大きかったのでしょう。

まもなくして別のもので一軒歩いて近づけそうな建物が見えました。

建物と筆者とではかなり高低差がありますが、階段などはありません。
近づいてみました。

バリケード+立入禁止の看板。しっかりしている印象だ。

建物の右奥からプラで出来たと思われるパイプが右のタンクのようなものに繋がれています。インフラに関係するものなのでしょうか。
とりあえず引き返し、原生林遊歩道の方へ歩いてみます。

まだ人が手入れをしなくなってから長い時間は経ってないようだ。

既に路盤は土となっています。基本誰も通らないのでしょう。奥は見えません。ハチがブンブン飛んでいます。函南原生林の遊歩道のほうが手入れされていることでしょう。

先程の写真で写っていたのとは別の物。

この別荘は地理院の空中写真を見る限り、初期(昭和40年代)からあったものではなく、50年代に建てられたもののようです。管理されているのかはわかりませんが植物が一部なぎ倒されている所を見る限り、最近誰かが通ったことは明らかです。

最後に一番最初に見えた建物の方へ向かってみました。

空中写真を見る限り昭和40年代からあった建物。電線が低い場所まで垂れている。

ここも昔自分が通ったことのあるはずの場所でした。
天井は一部無くなってしまっています。正面の叢のところに回り込んでみました。

どうやら高床式の平屋のようだ。


ほぼ全て木で作られた古い別荘。あと10年保たなさそうな感じの建物です。

この頃から雲が増えてきたということもあってここで撤退することにしました。

ホテル富士箱根の駐車場まで戻ってきた。ホテルの入口の手前・体育館の裏手にある。

せっかくなのでアスレチックが有ったはずのあたりも見に行くことにしました。

体育館の正面。

この『日本商工殿堂』という体育館は一見するとなんの変哲もない建物ですが、昭和42-44年にかけて優良勤続者を当時総裁だった佐藤栄作が表彰した「日本商工殿堂表彰大会」や有名な「ヤオハン」倒産時(1997年)の債権者集会の場として提供された一種の史跡のような場所です。

体育館を通り過ぎてしばらくするともう無いだろうと思っていたものがありました。

まさか残っているとは…。

10年前に遊ばせてもらったスライダーです。
アスレチック施設の一部で小さな金属のプレート上のものに乗ってコースを駆け下りる「スーパースライダー」というアトラクションです。左の白いレーンがスタート地点で使ったスライダーは小型のリフトで上まで戻ってくるというものでした。今となっては物足りない感じが否めませんが、当時の筆者はこれが楽しかったものでした。
撤去されていると思っていたのですが無事に見ることが出来ました。

骨だけ残っている分、かえって雰囲気は出ている。

ほかのアスレチック施設も完全に撤去された訳ではないようです。旧東側諸国とかの廃公園を想起させられます。写真奥から分かるように落ちるとびしょ濡れの鬼畜さは最後まで変わらなかったようですね。もう管理もされてないでしょうから流石に挑戦するのはやめ、そのまま帰途に付きました。

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今まで見てきた通り、この大規模な施設群が一つのリゾート地「富士箱根ランド」として形成されているのは明らかです。しかしながら建設初期の時点で既に大規模なリゾートが完成しているのにも関わらず、現在小規模の財団法人によって運営されているのはアンバランスな気もしますよね。それに運営している「中小企業レクリエーションセンター」(以下「センター」と表記します)の名前も気になるところです。

実はこの富士箱根ランド、「勤労者福祉施設」として全国の労働者にレクリエーションを提供することを目的に建てられた一種の公的施設だった訳です。同じような建物としてはヒルトン小田原(元・スパウザ小田原)や熱川ハイツが挙げられます。そしてこのセンターは中央企業庁と労働基準局が所管の特殊法人として設立されたものだったようです。ハコモノ政策の産物だったわけですね。しかし団体ツアー型がほとんどだった旅行形態が家族単位などといった少人数でのレンタカーを使用した地域周遊型の旅行なども含まれる形で多様化したこともあり少し見立てからは外れてしまったようです。

そういったハコモノの観光政策としては夕張のものと似たようなものを感じますが富士箱根ランドでは現在でも団体の宿泊イベントが開催されている所を見ると、立地の差は残酷なものだなと思わされます。とはいえ富士箱根ランドも芳しくない状況を打開するためにドローン飛行場の新設や建物の改装などを計画しています。それに合わせて現在の”昭和”残る施設が見られなくなってしまうこともあり得ます。ご訪問は今のうちに。

今回はこのへんで。
最後までご覧頂きありがとうございました。

参考サイト
国土地理院HP:https://maps.gsi.go.jp/
doda求人:https://doda.jp/co/endjob/3001247732/
富士箱根ランド:https://www.fujihakoneland.or.jp/

関連記事(画像とタイトルをクリックすると記事のページに飛びます)

弥彦ロープウェイとクライミングカーと昭和レトロ

これは古いながらも繁盛している観光スポットです。

富士箱根ランドと比べながら見ると面白いと思います。

冬の夕張本町2016

観光地が殆ど消えてしまった街を歩いた話です。

全てを賭けて失敗した市ですが、今の取り組みも含め、
多くを学ぶ事が出来る場所だと思います。

コメント

  1. sci より:

    昭和40年代、富士箱根ランド下にある別荘とは言いがたいPanasonic製のプレハブ住居で休日を過ごしていた経験があります。冬の夜は星空がきれいで、三島が一望できました。夏は霧で最悪で湿気によるカビが家をだめにし、ホテルも同様となりました。ホテル旧館はどこもかび臭いのは霧のせいですね。

    • silverowl より:

      貴重なご経験談、ありがとうございます。
      夏の霧というと涼しくはあるものの、建物とは相性が悪そうですね。
      記事で見られる施設や器具の写真を見てもサビやカビ、苔が多く管理が難しかったことが推し量れました。
      また洗濯なども大変だったのではないでしょうか。
      その一方で登山することなくきれいな星空や三島方面一体を眺めることが出来たのは、あの場所の魅力ですね。
      難しい場所であり、施設運営も容易ではなさそうですが、あの絶景が見られるよう残し続けていただきたいところです。

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