2時間弱で稚内駅を散歩する

北海道旅行記

こんにちは、銀ふくろうです。

北海道旅行をする時、北海道の端にある街へ行くことを検討し、そして諦めた経験はないでしょうか?
函館や根室が、札幌や釧路から遠く、かといって新千歳空港から飛行機は高いといった理由で行くのを遠慮したりする経験があるのではないかと思います。そして稚内は話にすら出ないこともしばしば。もし候補に入れたとしても、レンタカーで行くのには余りにも距離があり、公共交通機関では観光時間を確保することが難しいものです。

gray double bell clock
Photo by Moose Photos on Pexels.com

特に鉄道を使用した場合ですと、旭川から特急で往復で7時間以上かかるというのに、滞在時間は5時間もない事が多く、中々立ち寄れないでいる方も多くいらっしゃると思います。

しかしながらこの半日に及ぶ旅行をして、楽しむ人間は何を楽しむのでしょうか?
今回は、旭川から鈍行を乗り継ぎ稚内に到着した筆者が滞在時間​1時間40分​でどれほど​楽しむことができたのか​ということについてお話していきたいと思います。
(なお、片道3時間半、ではなく6時間弱を楽しんだ話については、以下の記事をご覧ください。)

​~本編~
 
​11:56に稚内に到着しました。コインロッカーに荷物を預け、この日のメインテーマとなる場所へ向かいました。
稚内駅の外は曇っていて、一見穏やかに見えたのですが、駅舎から出ると​猛烈な風が吹いていました。​更に床が​ツルッツル​で歩くのに手間取りました。
 
駅から四苦八苦して歩いて5分ほどの場所にそれはありました。
この防波堤にドームがくっついた様な形をしているこの構造物は、​戦前は駅として活躍していたのです。
 
​駅の名前は​稚内桟橋​といい、稚内と​樺太​を繋ぐ航路(稚泊航路)と鉄路を結ぶ乗り換え駅として1938年から1945年までの短い間、使用されていました。
 
当時は構内の右側に列車が来ていたようです。それにしてもこの構造物、かなり長く、全長が​427m​あるようです。16両編成の新幹線がすっぽり入ってしまう大きさです。
 
その右側には記念碑と、
 
当時稚内桟橋駅まで来ていたという蒸気機関車の車輪が置かれていました。
ちなみに現在、大泊に向かう航路の定期便は廃止されてしまいましたが、夏に臨時的に運行しているとのことでした。機会があれば行ってみたいですね。
 
船着場の方に船がいい感じに停泊してましたので、撮影しました。写真にいる邪魔な人は、今回の旅行の同行者です(笑)。

昼食は最初の写真に写っていた食堂で海鮮丼を頂きました。(写真を撮り忘れました…)

こうしている間にも時間は過ぎ去り、食べ終わる頃にはもう駅に戻らなければいけない時間帯になっていました。
 
帰りは写真の特急に乗りました。
そして、筆者は愚かなことに​グッスリ眠ってしまいました。​この特急が2017年の3月に引退となった車両であった為に、本当に後悔しました。

(2023年追記:23年3月を以って、写真の車両と同じ形式である、キハ183系の定期運行が終了しました。)
 
夕飯を旭川駅隣接のイオンでとり、駅構内に戻ってくると、アナウンスで、
 
​「大雪の影響により、特急オホーツク7号(筆者が乗る列車)より後の列車は運転を見合わせます。」
​という非常に行き先が不透明に思われる情報を手に入れました。
ちょうどこの日(2016年12月22日)は爆弾低気圧が北海道を襲い、歴史的な大雪が降った日でした。

このようなギリギリ運行できるという状況でと恐ろしいのは、途中(目的地は網走です)で見合わせる​ことです。

 
ですが特急券も購入していた手前、やむを得ず特急に乗ってしまいました。これがこの後、大きなロスとなるのです。
 
結果として、筆者は​北見駅で降車しました。​列車自体は見合わせたわけではないのですが、翌日は​網走からの列車は動かないし、飛行機も怪しいとの情報が入り、急遽、北見駅で引き返すことにしたのです。
今回はこの辺で。なお、この話の続きは「冬の北海道旅行 帰還編」です。本記事の2つ前の記事ですので、是非、ご覧いただければと思います。
次回はこれまでの冬の北海道旅行について、まとめて振り返っていきたいと思います。それではまたお会いしましょう。
最後までご覧いただき、有難うございました。

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