5日間で登別→稚内→旭川→函館→室蘭(二日目)

5日間で登別→稚内→旭川→函館→室蘭

外は一面青世界です。ぶらぶら駅を見て回ります。

到着したのは​16時​。 …この時間帯もいいですね。   ​上の写真からも分かるかと思いますが、 ホーム脇は雪が高く積まれてました。

​いやごっつい積まれてます。 ​…大丈夫?なだれ込んだりしないんでしょうか。 4月の初めとかが心配になります。 駅の外に出てみると、

しーん、としていました。 建物はありますが、人気がありません。 ​黄昏時​なのも相まってなんだか不思議な雰囲気。
散策はしたいのですが、
外に出て観光する時間はそんなにないので 駅に戻りました。 そして音威子府駅の個人的メインコンテンツへ向かいました。それは、  
これです。 そもそもポツンとある駅が ​主要駅などと名乗るには、 それなりの理由があるわけでして… ズバリ、 この駅は​複数の路線が通っていたのです。  ​その名は天北線。 音威子府駅と稚内駅を結んでいました。 ​…宗谷線と変わらない?  違うんです。宗谷線は​天北線の支線​だったのです。 およそ100年前、1922年に全通した時は ​天北線の路線名はなんと宗谷本線​でした。 しかしこの路線はオホーツク海側まで出て 内陸を北上する​後進の天塩線​よりも距離が長く、時間がかかって不便なため、 開通10年​でその名前を天塩線に渡し、 ​支線としてオホーツク海の交通を支えたのです。
(ちなみに宗谷線の名を譲った1930年から1964年までは「北見線」と呼ばれていました。)   しかし採算がとれなくなり​89年​に廃止になりました。   廃止から30年近く経ち、 駅舎のほぼ全てが解体されたため、 現在は記念館などで昔を偲ぶわけですが、

​熱い。 ​当時のものが​一つのスペース​に置かれ、 ​何もかも​が凝縮しています。 30年前なぞ私は生まれてすらいませんが、 ​懐かしく思えてしまうのです。

ありがとうポスター等はもはや​辛い。​廃止は反対の意見が根強かったそうで、 そのエピソードが余計に​効きます。

それでも路線には純粋に​感謝​してる訳で、​ヤバい​のです。

  模型もありました。 昭和30年代の全盛期の音威子府駅だそう。 ​…まさに夢の跡​ですね。 建物なども良いですね。  

資料館を出、構内に戻ってきました。

約1時間ぶりですが、そこまで暗くなってません。 ところで車両の後ろに雪が着くのは どうしてなんでしょう…? 誰か教えてください…。 今度は跨線橋に向かいました。 同行者によると跨線橋からの写真はエモい​とのこと。 一体どうなんでしょう…?

​…んんんんんん、いい(語彙力)。​暗くなり始めているのが良い。 ホームが雪で埋もれていて、 普通電車が屋根付きホームを特急に譲って 脇に大人しくいて、 山が近くにあって、 少しの建物と、 雪と、 ​きれいな空が良い。

  こっちなんか​白と青と黒だけです。 山が低いというのも​ポイント貯まります。何よりも驚きの静けさ。​最高ですね。

最後は車両に戻って、   ​車窓を撮りました。 窓を覆う雪はこの地の厳しさを物語り、 跨線橋はこの地を支えてきた​強さ​を慎ましくながらも示していました。 ​満点です。   こうして、音威子府を約1時間​フルに​楽しんだのでした。

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