とうとうやって参りました。そうです、いままで天北線は筆者にとって伝説であったのです。存在を知り、資料をデータの媒体でしか見たことのない筆者にとっては、ネットで見たあの資料も、本に載っていたあの写真も、ここでは全て新鮮に見えるのです。 これは資料館がネットに勝る側面の一つであるというのは間違いないはずです。
とは言えど、実物があるからと言って触るわけにはいきません。拝むのみです。
ちなみにこの「飛行場前」というのは戦中末期に設置された浅茅野飛行場と呼ばれる陸軍の飛行場にちなんで1955年に設置された停車場ですが、その飛行場は設置当時既に解体されていたようです。
鳥肌…ただ鳥肌…!! なんていうんでしょう。尊敬していた偉人の愛用品が一杯陳列されている感じでしょうか。
そして料金表ですね。JRになってからはこういう長距離の在来線料金表を見なくなりました。個人的に知っているのは伊豆急下田駅の料金表ですかね、あれは確か大阪とかまでの料金も載っていたと思います。 それにしてもこの料金表、ロマンの火薬庫ですね。 まず生まれる前に亡くなった非現実的な印象を与える廃駅が、料金という現実的なものによって、あったんだと実感させてくれるのです。 特にこの天北線が無くなる前に廃線となった羽幌線の主要駅までの料金が、消された跡が残っているでしょう。 あ~~~、いい。ヨサミドボス。 そしてこの写真、
白黒にして懐古厨してみました。 相も変わらず気味の悪いニヤニヤが止まりません。
どうしてこうも、古い看板に心を惹かれるのでしょうか。まずカクカクしながらの丸みのあるフォント。そしてペンキが剥がれて混じる木の色。そして最早木に書いただけのもの。 合掌。あと30年産まれるの早かったらなあ…。 なんてしているとバスの発車時間が差し迫って参りました。 10分間で貴みを摂取し気力も幾分補充された筆者一行は、バスに乗り込み次の主要駅浜頓別駅に向かいました。
天気は相も変わらず不安定です。風が強いようで、雪は舞い上がり、さながらドライアイスの様です。 期待しても流氷はやってきません。もう3月の後半だったので仕方ありませんね。
陸側を見ると集落がポツンポツンと見えるようになりました。 天北線跡と区間が重複したからでしょうか。 ちなみに天北線自体はバスが走っている道路よりも内陸側にあったようです。 ただし停留所は駅と同じ場所にあるようで、路線上にも出てきた名前の停留所を通る際には必ず一旦網走へ続く国道を折れて、よっていくのような形で停車していきます。 そうそう、後出しのような形になりましたが、天北線の駅だった場所を拝めるようになりました!なにも残ってませんが。 筆者は他ブログ様の記事にある現役時代にあった駅舎の写真とその場所を見比べ、合掌🙏を繰り返しました。
それは次なる主要駅、浜頓別でも一緒のことでした。
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