F.木造の秘境駅に一人

後に出てくる駅舎2枚の写真もこのカメラで撮影した
車内から凄い見られながら、列車を見送りました。
考えれば走行中の映像を撮っている人もいたはずで、彼らにとっては邪魔なはずでした。
ちょっと悪いことをしてしまったかもしれません。

ここは峠下という名前の駅で、2023年に廃止された石狩沼田~留萌駅間では唯一の木造駅舎が残る駅でした。正確な建築年は不明とされていますが、改築があったとされる1954年から先の話が無いことから、2023年の廃止区間では最も古い駅舎ということになります。(おそらく次点が1967年建築の留萌駅舎です。)
….といううんちくはそんな大事な話ではありません。

とにかく木造の古い駅舎なんです。
木造で立て直した最近の大きな駅でもなく、小さな昔ながらの木造駅舎に寄ってみたかったのです。

ローカル線に乗車されている方ならご存知のことかと思いますが、
気になった駅に立ち寄るということは中々出来ません。
次の列車が来ず、予定が往々にして立たないためです。
この時も、次の上り列車が3時間後でした。その次は4時間後です。
単に時間がかかる、というだけでなく泊まる場所が無くなります。
このような秘境駅に訪れるならば、(それもレンタカーを使わないならば)行った日に直ぐ帰らない旅行をする必要が出てきます。

ここは上りと下りの列車が行き違う路線上の要所でもありました。
隣の駅員室からは話し声が聞こえてきます。保線員でしょうか、雪かきもされる方たちのようです。

左の台には駅ノートが置かれていた。
外は雪が降り始めました。
壁越しの話し声もありながら、どこか静かな駅舎の中で駅ノートに挨拶を残します。
とても満たされた状態にいた私は、受験勉強で読んだある随筆文を思い出しました。
ちょっと長いですが、美しい文章で削ることが出来ませんでしたのでそのまま貼ります。
荒れてはいるが留守番も置いて、門をしめている園があった。藤を藤をと私がせがむので父はそこへ連れていってくれた。俗にひょうたん池と呼ばれる中くびれの池があって、くびれの所に土橋がかかっていた。だがかなり大きい池だし、植込みが茂っていて、瓢箪というより二つの池というような趣きになっていた。藤棚は大きい池に大小二つ、小さい池に一つあってその小さい池の花がひときわ勝れていた。紫が濃く、花が大きく、房も長かった。棚はもう前のほうは崩れて、そこの部分の花は水にふれんばかりに、低く落ちこんで咲いていた。いまが盛りなのだが、すでに下り坂になっている盛りだったろうか。しきりに花が落ちた。ぽとぽとと音をたてて落ちるのである。落ちたところから丸い水の輪が、ゆらゆらとひろがったり、重なって消えたりする。明るい陽がさし入っていて、そんな軽い水紋のゆらぎさえ照り返して、棚の花は絶えず水あかりをうけて、その美しさはない。沢山な虻が酔って夢中なように飛び交う。羽根の音が高低なく一つになっていた。しばらく立っていると、花の匂いがむうっと流れてきた。誰もいなくて、陽と花と虻と水だけだった。虻の羽音と落花の音がきこえて、ほかに何の音もしなかった。ぼんやりというか、うっとりというか、父と並んで無言で佇んでいた。飽和というのがあの状態のことか、と後に思ったのだが、別にどうということがあったわけでもなく、ただ藤の花を見ていただけなのに、どうしてああも魅入られたようになったのか、ふしぎな気がする。
幸田文の『藤』という随筆文です。
光景や匂いといった五感で捉えられるものの一つ一つに調べがあり、その場は調べを束ねて和音を奏でており深く魅了された、という文章です。
まさに、というほどの感性を持っている訳ではないですが、雪の降る音、くぐもって聞こえる話し声、駅ノートを書くために付いた肘と膝に感じる質感と冷たさ、わずかに湿気た木造とコンクリートが出す匂い、そして光景。一つ一つに美しいものがあり、それが一つの音楽かのように優しく襲ってきました。
かけがえのない一時でしたが、出来ることならもう一度、このような体験をしたいものです。

バスが来るまで20分ほどもなく、駅から引き上げます。

色の美しい駅舎です。駅名標とJRのロゴが所狭しとドアの上に並んでいるのも愛嬌があります。
昔の筆者であればJRのロゴはいらない、と思っていたでしょうが、
このJRも駅のいち要素だと感じられます。
この駅舎は訪れた翌年の4月1日に倒壊しました。


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